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淸風鄕校

淸風鄕校

Hyanggyo

優秀な儒学者たちの位牌を祭り、祭祀をしながら、地方の庶民の教育と教化を担当していた地方国立教育機関である。高麗忠肅王(在位1313∼1330, 1332∼1339)の時、初めて立てたというが、元々勿台里にあったものを朝鮮正祖3年(1779)へ校里に移し、忠州ダムの建設によって、現在の位置に移された。

建物の配置は教育空間が前に、祭祀の空間が後ろに配置された前学後廟の形式を取っている。学生たちが集まって勉強をする講堂である明倫堂を中心に左右に学生たちの生活空間である東齋と書齋が教育空間を作っている。裏側に聖賢の位牌を祭っている大成殿と東蕪・西蕪があり、祭祀の空間を作っている。

朝鮮時代には国家から土地と書籍、下男や下女などを支給され、学生を教えたが、甲午改革(1894)以降、教育の機能はなくなり、祭祀の機能のみが残っている。