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長樂洞七層模塼石塔

長樂7層模塼石塔

Manggae Tree

模塼石塔とは、石を煉瓦の形に切って積んだ塔で、土の煉瓦を積み上げた塼塔を模倣したといって、模塼塔ともいう。塔が立っていた寺の敷地が、田畑に変わったために寺の規模は分からないが、7階に至る巨大なこの塔の周囲を圧倒するように立っている。灰緑色の粘板岩を使った塔で、塔を支える基壇だけは粘板岩ではなく、自然石で1段を作っており、その上に煉瓦で造られた7階の塔身が積み上げられている。

塔易はお釈迦の舎利や仏経などを祭るところで、1階の四つの角には粘板岩の代わりに花崗岩を手入れした柱を立てたので、その姿が独特である。尚、南と北の面に舎利を置く監室(仏像や舎利などを祭る部屋)を設置して、扉がつけられていたが、現在南のものはなくなった。1階の南と東の面が相当壊れているが、このような被害は2階の屋根の石にまで至っている。それぞれの塔の石を覆う屋根の石は材料が煉瓦であることから分かるように、傾斜面の上下全部、階級を置き、軒も短くて、水平である。屋根の石の四つの角には上下に穴を空け、風鈴をつけることができるようにしている。

塔の頭の部分には装飾がなくなり、装飾の台である露盤のみが残っているが、その上の面の真ん中に丸い穴があり、穴の周りに蓮華の模様が刻まれている。1967年、壊れる直前に塔を解体して保守したが、7階の屋根の石の上の方から、花の模様が彫刻された青銅の彫刻が発見され、塔の頭の装飾ではないかと推測される。

塔身の全体には表面に石灰を塗った痕跡が所々に残っており、目を引く。尚、製作形式や石を手入れして積み上げる手法などから、統一新羅の後期に作られたと予想される。2003年から実施された寺の敷地に対する発掘の調査の結果、長樂寺は三国時代末に建てられたと推定され、3度にわたる重創佛事を確認した。